<死線から生還した男の闘病記>
3、学生時代
中学ではサッカー部に入り、趣味で器械体操、バレーボール、将棋と友達に合わせて色々としたし、女の子と喋ったりもした。ごく一般の中学生時代を送ったが身長は毎年10cmづつ伸び3年間で30cm伸び、卒業する時には後から3番目位で170cmは越えて両親を驚かせた。勉強も授業しか受けていなかったがそこそこ出切る様になり進路は「公立高校一本」に絞ったが、残念ながら落ちて私立へ行く事になった。春休みに自宅にいると中学時代のサッカー部の先輩が来て「お前、ウチの学校に来る事になったんやて。ウチでもサッカーするんか?お前やったら即レギュラーになるほどウチのサッカーは弱い。それなら俺が今ラグビーをしているからラグビーせいへんか?」と2時間位勧誘して帰った。スポーツはする気だったが、受験戦争で負けたので勉強も塾に行くとか検討課題を持ったまま春休みが終わった。両親は勉学に励む事を期待していたと思う。
本来行く気が無かったので予備知識0で迎えた入学式。男子校で1クラス50人で1学年で10クラスの500人。3年迄入れると1,500人になる。入ったのは8組だったが、同じ中学からの入学生は高校全体で50人は居ると聞いていたが同級生にはいなかった。
彼等は何処へ行ったのだろうか?と思いながら初日の担任の挨拶が有った。クラスで何となく「違和感」が有ったのが担任の説明で理解出来た。何でも毎年2組、8組の100名は成績の良い順番からで決められ「特別クラス」とされ勉学に励む様に言われた。この時に知り合って仲良くなったのが井下だった。とにかく奴とは3年間毎日の様に遊び現在も交流のあるポン友だ。
クラブ活動はサッカー部を体験で一日入部して見限った。チームプレーなのにコンビネージョンが出切る所かボールを50m蹴飛ばせる先輩がいなかったので、ラグビー部に入る事にした。先輩達からは「フィールドの格闘技」「紳士のスポーツ」「レギュラー15名のチームプレーは最多人数で高度なテクニックが必要」とか、さんざん奇麗事に騙されたのが入部して1週間で分かった。ただ中学時代のサッカー部の先輩の実力は私も認めていたが、内部事情を知ると拍子抜けしたのは確かだが、今迄もそうだったが一旦正式入部をすると卒業迄辞める気は無いしサボル気も無かった。ラグビーではチームに指導者がいないのと選手層が17名位だったので弱くてもしかたなかったが、「トライ」を経験した興奮は今でも脳裏に焼き付いている。
2年の時に授業中に一度担任の教師を締め出したらベランダから入って来たのには笑った。それを井下に伝えたら早速同じ手口でマネをしたら進路指導室から構内放送でクラス全員が謹慎になったのには笑い死にすると思った。何と言っても「単車」が私達の足だった。夏休みに4台でツーリングに出かけ私の後輩のバンガローに泊めてもらったが、翌朝、管理人のオバサンが表ですごく怒っていた。
話を聞くとバンガローは10程有り宿泊者は私達4人と後輩の姉グループ5人だけで、空いてるバンガローの前に「ウンコ」がしたった。井下がとぼけて「野良犬と違う?」と返事したら「犬がティシュで穴拭くか!犯人はお前や」と笑うに笑えんし、後輩の手前もあるから仲裁に懸命になった。とにかく毎日アホの連続で楽しかったが成績は遊び、クラブで下がる一方になった。等々担任に呼び出され「本当は言ってはいけない事だが、お前の入学時の成績は7番でIQ156だから今から頑張れば絶対に国立大学は可能と説得されたが、そのときは200番迄落ちていた。
3年の夏休みに私は「プロレーサー」を目指し進学は断念して毎日アルバイトばかりしていた。井下はその頃から少し音信不通になったが、お互いにする事が出来たのだろうと思っていた。結局両親の反対に押し切られて私立大学に推薦入学が12月に決まりそのまま信州へとスキーに旅立ち1月から自動車免許取得(こういった事は必死でやるし、父親も無免許の私を指導してくれたりした。後で聞いたのだが井下は「秘密特訓」をやらされて歯科大学に合格した。ほぼ「軟禁状態だったらしい」が、そうかアイツもやれば出来るんやなと改めて思わされた。
教習所で偶然会ったのが中学の同級の露山だ。最初こちらの方をチラチラみているので「喧嘩売ってんか?」とせまったら「俺や、中学の露山や」というがイメージが合わない。聞いたら露山は中学の時は140cmしかなかったのに高校で30cm身長が伸びたらしいので分かるはずが無かったし、親しい事も無かったので無理だろう。しかし、その出会いが縁となり今日も付き合いをしている。どちらかというと、偶然中学が一緒なだけで教習所からの付き合いとなっている。めぐり合わせは不思議なものだ。そして暫くは私、井下、露山の「3バカトリオ」といわれるくらいに遊んだ。
そして免許取得後「チューンドカー」に手を出しはじめだした。
最初の車はチェリーX1-R(兄の古だが)といって当時の日産の名機A-12型エンジンにSUツウィンキャブで80馬力。サニーのFF版でオーバーフェンダー装着。ノーマルで現在の漫画の「イニシャルD」のAE86の前進の2TGにも負けなかった。それで毎晩走り回ったがロータリーにはストレートでは勝てなかったので、1300ccにボアアップしハイコンプとソレックスを装着して一応無敵となった。大学には最小の出席数で済ませバイト、車、スキー、サーフィンと遊びなら大概し、19歳の時に今の妻と出合った。そして瞬間に「俺はコイツと結婚するんやろな?」と何となく感じたが、まだ遊びに夢中だったが大学4年の夏に妻が妊娠して「学生結婚」(両方の親の反対を押し切ったから貧しい生活が続き)私の独身生活は終わり、一家の大黒柱となる人生を選んだ。
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