2005年2月の情報

<死線から生還した男の闘病記>
2005年2月

*青春時代*
4、結婚・子育て

 八尾市の郊外に2F建てハイツが有り、そこが私達の新居となった。最初の新婚時代は良かったし昭和55年3月に長男が誕生してからは(里帰り無し)毎日風呂に入れて、オシメを洗うのが私の日課になった。昭和57年1月に長女が誕生して4人家族となった。その頃迄には両方の親も許してくれて妻の父親には毎週酒飲み相手に出かけたものだ。帰りに米を貰ったりして随分生活を間接的に助けてもらった。

 そんなある日に私は自転車でブラリと出かけて中古住宅を一件見てきて「ここに引越しする」と決心した。所要時間は半日で妻にも一応見せたら「あなたの好きな様にして下さい」と言われて購入する事にした。長男2歳、長女生まれ経てで我が家の子育てはこの家から始まった。

 「三つ子の魂100まで」という諺が有るが、私も子供の教育は幼少期で終わらせるものだと信じて育てた。晩御飯は私が帰る迄全員が我慢するのと、食事中はT.V.を見ないが基本で長男は良く殴ったものだ(但し幼稚園迄だが)。そして「お前は出来たら中学を卒業したら海外留学するんや。外国に行っても喧嘩で負けないように空手を習い、黒帯びを取るまでは辞めない事」とよく話をし、空手は習いに行かせたが海外留学はまだ先の話だったので余りしなかった。

 我が家の年間スケジュールは、夏は伊勢の知り合いの保養所に毎年泊めてもらい冬はスキー場に行き、その間適当に何処かに連れて行くのが家族サービスだった。それが約15年間続いたから決して悪くは無いと思う。ただその間に私がゴルフにはまったのは誤算だった。ショートアイアンとアプローチは得意だったがドライバーショットに並があり過ぎた。飛距離は300m位は飛ばせたが方向性が全然ダメで、若かったから刻むゴルフが出来なくて必ず何処かでスコアを落し出す。悔しいから毎日アルバイトをして練習を繰り返したが、「メンタル過ぎて俺には無かんからゴルフは今日限りでやめた」と妻に宣言したら穏やかに微笑んでるだけだった。(俺には不向きなスポーツと最初からしっていたのかもしれない?)

 ゴルフ代が浮いたので、久しぶりに新車を買った。ランサーターボ。ノン・デフのみ入れてのノーマル(勿論5速)だが良く走ったし、バランス感覚がいい。最高のスポーツセダンや。それまではゴルフの為にクラウンやセドリックに乗っていたが、やはり車は走ってナンボとつくづく思った。とにかく順風で充実した毎日が続いた。子供達も留守番が出切る様になり妻とは毎月1回外食デートを楽しんだ。

 そういえばこんな事も有った。土の夕方から、日とかけて友人達とスキーに行く予定だったが、妻から電話が有り「タッチャン(長男)が階段から落ちて骨折し、今病院から帰った所」という内容だったので「俺が家にいてても早く直る訳でも無いし、処置は済んでるんやから問題は無いからこのままスキーに行く」と返事した。普通はどうだろうか?と一瞬悩んだがすぐに忘れた。とにかく家族全員が遊びにかけては全員が納得していたし、協力もした。

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